高尾山ハイキング

鎌倉ハイキングに続き第2弾。

3月末の高尾山、登頂を目指します。

ここは高尾山口下車から間も無いケーブルカー乗り場前。

料金は大人片道480円、往復930円。

なぜが片道分のチケットを購入したのですが、この事で後戻りをしない

決断をする事となるとはまだ思ってもいませんでした。

何かと無精者。ケーブルカーの写真がありません。

高尾山のケーブルは日本で一番傾斜角の厳しい35度の斜面を登って行きます。

その傾斜は車内でも手すりにつかまっていないと転がってしまいそうなものです。

 

そしてこれが下車すぐの展望台からの眺め。既に十分な眺めを望めます。

世の中には何度も来ている方も多い事と思います。

我ながら見聞の乏しさを承知してます。

天候に恵まれ見事な快晴。雲ひとつありません。

 ここからはいざ高尾山の表参道を歩き頂上を目指します。

途中にはいくつものパワースポットがあります。

是非行った事のない方はご自身で・・・

参道には立派な杉の木が建ち並び思わず自然の歴史を感じさせられます。

そして この階段は男坂。階段なのに・・・

男坂があれば女坂もあります。

女坂は緩やかな上り坂です。

この男坂は計108段の階段でして、人間の煩悩の数と同じです。

1段登るごとに煩悩が1つ消えて行くといわれています。

煩悩とは・・・人間の心身の苦しみを生みだす精神のはたらき。

除夜の鐘と重なりますね。

そしてこれが薬王院の奥に佇む大本坊。

境内を通り越しここに。

後に調べたところここは 精進料理を頂ける所だそうです。

この建物の脇を歩いてみました。

どうやら正式なルートでは無いようです。

裏手に回ると銭洗い弁天が・・・あまり知られていないのでは。

洞窟はかがんで入れる程の狭い穴です。

恐る恐る中に入ると奥行きは無く入口から数メートル位で

鉄格子でふさがれており

怖くて写真は撮れませんでした。

ご興味のある方は是非ご自身の目で

ご確認ください。

無論、お金を洗いました。

ここからは一気に頂上へ。

やはりコースからははずれていました。

すれ違う人もまばらでした。

 

頂上は大勢の人でにぎわっており、おまけに新しい建物も建設中で工事で

雑然としていて唖然。頂上にたどり着いた実感というか・すがすがしさというか・達成感も無く・・・

少しがっかりすると共に、かなり不満足。

ここが富士山と共にミシュラン3星に選ばれた観光スポットなのかと・・・

 

辺りを見回すと帰路とは別にどこかに続くであろう道がある事に気付き足を踏み入れることに。

ここからは奥高尾。

やはり奥深いと感心しつつも 頂上の写真を取ることが出来ませんでした。

 

ここからは足元も悪く、起伏も激しい山道です。

さあ。ここがほとんどの方の終点の様です。

景色も良く開け、ここでござを敷き少し早いお昼ご飯を満喫しています

脇道はまだまだ山奥に通ずる模様。

ここから先には進べきではなかった・・・

ご覧のように雰囲気はなかなかの物です。

人気は全く無し。

「やばいなぁ・・・。だいぶ歩いてきたし ここから引き返すには気が重すぎる。

この先はいったいどこに通ずるのか?道があるからには大丈夫だと自分に言い聞かす。

ケーブルカーの切符は片道分だから戻らなくてもいいかぁ。

そろそろおしりの筋肉も攣り始めて来た・・・

時刻は11時過ぎ、日暮れの心配はとりあえず無い。

眼下には何か見えないか? 家は?

ここはどの辺りであろうか?

最寄り駅は?

携帯アプリ Around Me で 駅を検索してみよう。

高尾山。だめだ遠い。

あれ 看板があるじゃん。人気はあるんだな

(ニホンザルによる被害対策の為、花火による追い払いを行っております)

ほぉ。

つうか、狩猟はしてないよね? 俺、サルに間違えられないよねぇ。」

 

てな感じの妄想に襲われ、この景色を目にした時の喜びは何ともいいがたい。

あぁ。よかった。

あの湖は何処。ここで今一度 Around Me 。

最寄り駅は  【相模湖】

とりあえず山はもう登らずに済みそうだ。

でも、かなり遠い。

相模湖て行った事 無いけどやっぱり駅は湖のちかくだよなぁ。

とにかく山を下りて町を目指します。

(ちなみに人 一人見かけませんでした)

 

通りに出て一安心。

この道はバス通りでバス停を見ると八王子駅行きのバスが走ってました。

思わず誘惑に負けそうになりながらも、いざ 相模湖へ。

道が開け、もう少しといったところまで・・・

相模湖に到着。

相模湖八景 御供岩。

「その昔、ヤヨとキヨという二人の若者がおりました。

ある晴れた日に相模川にて漁をしていると、網の中に御身体が上がってきた

二人は恐れ尊みて村の中段に祠を造って祀った。その後この里に疫病が流行り

火災も頻りとおこりこれは尊き御身体を不浄の地に祀ったその為だと思い

現在の与瀬神社に安置したところ災難が収まり、その後 霊験あらたかな神として

参詣人がひきもきらなかったという。

ちなみに ヤスとキヨの子孫は現在も 精神衆と呼ばれ祭事に奉仕している」

との事です・・・。

ここから駅までは目と鼻の先でした。